日本での歩み
1886 |
バイエルが開発した赤色直接染料 |
1890 |
バイエルの日本代理店をハー・アーレンス社から |
1899 |
バイエルの医薬品が本格的に日本へ輸入される。 |
1907 (明治40) |
染色技師リヒャルト・ファイトが長期滞在し、 横浜と神戸に染色試験所を開設。 |
1911 |
「フリードリヒ・バイエル合名会社」を |
1924 |
染料と化学製品を扱う「独逸染料合名会社」を設立。 |
1927 |
「バイエル・マイステル・ルチウス薬品合名会社」 |
1941 |
資本・技術提携に基づき、農薬会社の |
1950 |
バイエルの染料・化学品担当代理店である |
1951 |
バイエルの医薬品を吉富製薬(輸入元)と |
1955 |
ケミダイズ社(バイエル社60%、 |
1960 |
ドイツ・バイエル社の全額出資により |
1962 |
ドイツ・バイエル社の全額出資により |
1969 |
ドイツ・バイエル社と住友化学工業株式会社 |
1973 |
バイエル薬品株式会社を改組。新たに、 |
1976 |
狭心症治療剤「アダラート」を発売。 |
1979 |
医薬品製造の滋賀工場が操業を開始。 |
1985 |
茨城県結城市に農薬中央研究所を開設。 |
1986 |
日本で開発された除草剤「ヒノクロア」を発売。 |
1988 |
ニューキノロン系抗菌剤「シプロキサン」を発売。 |
1991 |
日本特殊農薬製造株式会社が「日本バイエル |
1992 |
日本で合成・開発された殺虫剤「アドマイヤー」を発売。 |
1993 |
スタルクジャパンとヴイ・テックが合併し、 |
1994 |
マイルス・三共株式会社が |
1995 |
バイエル株式会社とバイエル化成株式会社の |
1997 |
「アドマイヤー」が世界No.1の殺虫剤となる。 |
1998 |
バイエル株式会社と帝人化成の合弁企業 |
1999 |
バイエルメディカル株式会社を設立。 |
2000 |
アレルギー性鼻炎治療剤「バイナス」を発売。 |
2001 |
抗血小板剤「バイアスピリン」を発売。 |
2002 |
「ハーマンアンドライマー株式会社」が |
2003 |
「バイエル ケミカルズ ジャパン株式会社」を設立。 |
2004 |
勃起不全治療剤「レビトラ錠」を発売。 |
2005 |
ドイツ・ランクセス社のバイエルグループからの |
2006 |
シエーリング社の買収を発表。 |
2007 |
バイエル薬品と日本シエーリングが事業統合。 |
2008 |
日本のバイエルの持株会社として |
2009 |
バイエルマテリアルサイエンスのイノベーション・ |
2010 |
バイエル薬品株式会社がインテンディス株式会社を |
2011 |
日本のバイエルが創立100周年を迎える。 |
2012 |
主なサービス/支援部門を「カントリー・グループ・ |
2013 |
ドイツ・バイエル社が創業150周年。 |
2014 |
7月にコンシューマーケア事業部を新設。 |
2015 |
素材科学事業グループが新会社「コベストロ」となる。 |
2016 |
最初のバイエル製品が日本に輸入されてから |
2018 |
8月、トーマスペーター・ハウスナーが |
2020 |
日本モンサント株式会社の事業を統合 |
リヒャルト・ファイト フリードリヒ・バイエル合名会社 総支配人
明治44年(1911年)の創立時に登録されたフリードリヒ・バイエル合名会社の商標。
フリードリヒ・バイエル合名会社 神戸本社(1911年5月1日設立)
1930年代の日本におけるアスピリンの包装。